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妙円寺(みょうえんじ)は、鹿児島県日置市伊集院町徳重にある曹洞宗の寺院である。山号は「法智山」。 == 沿革 == 薩摩の戦国大名、島津義弘(戒名「''妙円寺''殿松齢自貞庵主」)の菩提寺である。禅寺であるため妙円禅寺、また妙圓寺とも記す。1390年(元中7年)、当時この地の支配者であった伊集院忠国の11男である石屋真梁によって、長州の守護大名であった大内義弘の息女の供養の為〔妙円寺の寺伝による。寺伝の詳細は公式HP参照。〕〔建立については、島津元久が1387年(或いは1390年)に石屋真梁を開山に招き、伊集院城の北東の地に妙円寺を創建したという説もある(参照:『島津元久譜』『伊集院由緒記』)。〕建立された。ちなみに石屋真梁は1394年(応永元年)に島津元久の命で福昌寺の開山となった人物でもある。石屋真梁の兄・南仲は広済寺の開山となっており、妙円寺は福昌寺の兄寺にあたる。毎年行われる節分祭は県内有数の信者数を誇っている。六百年の歴史があり、永平寺と總持寺とを両本山に持つ、曹洞宗の寺院である。「妙円寺詣り」の妙円寺とは本来この寺のことをさす。 歴代島津氏当主の尊崇を受けてきたが、島津義弘は特にこの寺に対する帰依が厚く、義弘とその妻の墓所となったために薩摩藩の中でも有数の禅寺となった。しかし明治2年の廃仏毀釈により破壊され、当時の住職は島津義弘の位牌などの宝物を持って避難した。明治13年には早くも地元の支援者によりかつての寺地の近隣に再興され、徳重神社の所有となった宝物の返還を求めたが、結局達せられないまま現在に至っている〔ちなみに、義弘自身も出家したため、徳重神社に祭られている義弘の御神体は僧体である。〕。復興後の妙円寺は600坪程に縮小されたが、義弘の位牌はもちろん、境内には昭和11年に公爵(島津家第30代当主)島津忠重の寄贈した石屋眞梁禅師の碑があり、碑銘は陸軍大将町田経宇によって書かれている。 妙円寺の名を冠しながら、現在では徳重神社にて行われている「妙円寺詣り」について、妙円寺は主催者の日置市などに対し名称を「徳重神社詣り」に変更するよう要望している。鹿児島本線伊集院駅の案内や地図には、この禅寺の所在すら記されていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「妙円寺 (日置市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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